藤岡幹大という天才ギタリスト

ミュージシャン

藤岡幹大さんというギタリストはご存知でしょうか。
テクニカル系や変態系のギターがお好きな方はご存知かもしれませんし、BABYMETALの神バンドとしての活動でご存知の方もいらっしゃるかと思います。
今回は、僕にとっても多くの人にとっても”先生”として親しまれた天才ギタリスト藤岡幹大を紹介します。

プロフィール

藤岡幹大(ふじおかみきお)
生年月日:1981年1月19日生まれ
出身地:兵庫県の淡路島
身長:158cm

幼稚園の頃にピアノを始めるも、自由に弾くことを許されずに音楽がトラウマとなる。
小学生になってからも音楽の授業はあまり好きではなかったものの、歌謡曲やアニメソングに夢中になり「音楽を作ってる人、素敵だな」と思うようになる。
中学2年の頃に初めてギターを手にする。そして初めてのエフェクターは見た目だけで選んだ為、まさかのコンプレッサー。
高校進学後、バンド活動をしつつ、テクニカルな曲をひたすら練習し技術を習得していく。
高校卒業後、MI JAPAN大阪校に進学し、在学中にギターコンテスト”GIT MASTERS 2000″に入賞。
卒業後は同校の講師に就任。2005年からはMI JAPAN東京校講師に就任。
その後、個人名義のアルバムや数々の教則本・DVDを発売し、様々なミュージシャンのレコーディングやライブサポートをして徐々に知名度を上げていく。
2013年、BABYMETALの神バンドとしての活動を始め、一気に知名度が上がり、海外でも評価されるようになる。
2017年12月、趣味である天体観測中に高所から転落し、翌2018年1月5日36歳の若さで永眠。

ということで、MI卒業後そのまま講師になるという藤岡氏憧れのポールギルバート氏と同じ道を辿ることになるわけです。
若い頃から既に技術、知識共に高いレベルで習得をしていました。
圧倒的な実力と個性で多くの人から尊敬され、これからの活動を期待されている中、36歳の若さで亡くなってしまい、世界中のファンに大きな衝撃を与えました。

プレイスタイル

彼ほど多くのジャンルに対応できる人は居ないのではないかと思うほどプレイスタイルの幅は広く、メタル、プログレ、フュージョン等を特に得意とします。

サポートとしては完全に裏方として最大限楽曲を引き立てることに徹します。
しかし、そのもう一方では、アーミング、ハーモニクス、リズムトリック、アウト感の強いフレーズ等を多用し、かなりアバンギャルドでぶっ飛んだ演奏をします。


こちらはハーモニクス主体でメロディを弾く曲です。
現代の音楽は基本的に平均律で作られている中で、ハーモニクス音は純正律で鳴ってしまう為、効果音として使うなら別ですが、メロディを弾こうと思うとかなりシビアにアームでコントロールしないと気持ち悪い音になってしまうんです。アームの使い方の上手い藤岡氏だからこそできる曲といった感じでしょうか。

続いては教え子の岡聡志氏との共演です。
優しくも厳しい先生としての雰囲気が感じられるとともに、ずっと聴いていたくなるような攻めた演奏が聴けます。
それにしても凄まじいピッキング技術です。

かなりメタルな曲。
やはりかなり独特な藤岡節が炸裂してます。

そして淡路島のご実家「フレッシュふじおか」にて撮影された渋い弾き語りカバー曲です。

講師、教則本執筆、自身のバンド活動、サポート等、人気ギタリストとして忙しい中でも、常に新しい実験的な音楽を模索し続けていた藤岡幹大氏。
40歳、50歳と更に先に進んだ音楽を聴かせてもらえるのを楽しみにしていました。
36歳をいう若さで亡くなり、まだまだご本人の名義の作品もあまり多くは残せていなかったのが残念でなりません。

しかし、彼の講師としての、そしてギタリストとしての功績は非常に大きく、日本中に彼の影響を受けたギターキッズを生み出しました。
彼の遺伝子を継ぐギタリスト達の今後の活躍に期待しています。

藤岡先生との出会い

十数年前の春、MI JAPAN東京校に入学を決めた私は、クラス分けの為のレベルチェックを受ける為にMI JAPANへと向かっていました。
渋谷駅を出て歩道橋を渡っていると、ESPのギターケースを背負った小柄な人が前を歩いていたので、私と同じくレベルチェックに向かう学生だなと思い込み後を着いていきました。

学校に入り受付でレベルチェックに来た旨を伝え、少し緊張しながら順番を待っていました。
いざ私の順番が来て、案内された教室に入ると、先程前を歩いていた小柄な彼が正面に座っていました。
そこで初めて前を歩いていた小柄な人が藤岡幹大という名の講師であることを知ったのです。

それから少し日が経ち、初めての藤岡先生の授業の日のこと。
一体どんな演奏をする人なのかも知らずに教室に入り、一通り準備を終えて自己紹介が終わると、藤岡先生はいきなり嘘のような演奏を始めたのです。
何を弾いているのか一切理解ができませんでした。
当時テクニカルな演奏を得意とする先生の多かったMI JAPANでしたが、藤岡先生の演奏はさらにその遥か上の世界に感じられました。
あまりにも人間離れした演奏を目の当たりにして「私はこのままでは一生藤岡先生のレベルへと到達できないかもしれない」と途方に暮れたのを今でも覚えています。

それから何度も授業を受けていく中で、エフェクターのことを「エテクター!エテクター!!」と呼んで喜んでいたり、謎のパスタの歌を聴かせてくれたり、一緒に食事に行った際には、途中まで吸った煙草を「もったいないから残りは後で吸う」と言いながら先端だけ上手く火を消して元の箱にしまったりする彼の姿を見て「あれっ?もしかしてこの人も普通の人間なのでは?私も追いつけるかも?」なんて思ったりもしました。
しかしギターを持った瞬間に一気に現実に戻されるのです。

その後私はMIを離れましたが、先生の出すCDや本を常にチェックし、ライブも観に行ったりと、ずっとギタリスト藤岡幹大のファンなのです。
今となっては残された音源を聴き、残された本を読むしかできないのですが、当時先生がよく言っていた「フレーズを覚えるんじゃなくて、こういうフレーズの作り方があるということを覚える。」という言葉を時々思い出しながら、今後も音楽を続けていきたいと思います。

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